広島カープ 前田智徳選手引退


前田智選手引退(H2.繊維工業科)

広島一筋24年
プロ野球広島一筋で通算2119安打を放っている前田智徳外野手(42)が27日、広島市のマツダスタジアムで記者会見し「引き際はとっくに過ぎていた。言葉は悪いが、やっと終わったかどいう感じ』重圧から解放されてほっとしでいる」と24年目の今季限りでの現役引退を表明した.。

近年代打の切り札として活躍したが、今季は4月に死球で左手首を骨折し、戦列を離れたままだった。20日には球団に引退の意思を伝え「8月後半まで骨が修復しなかった。白分のものではない感覚しか出てこなかった。さすがに今回は無理だなと」ど理由を話した.。 引引退後は評論家に転身する。
前田智外野手は1990年に熊本工高からドラフト4位で広島入り。走攻守三拍子そろったプレーを武器に主力に成長し、91年にセ・リーグ優勝に貢献。95年の右アキレスけん断裂の大けがを経て2007年には2000安打を達成。通算成績は2186試合に出場し、打率3割2厘、295本塁打、1112打点。
この日の会見では再三言葉に詰まり、目を潤ませた。 「志は高かった。自分なりに全うできた」
と言いつつも、今季チームはクライマックスシリーズに初進出しただけに「結果的に白分らしくけがで戦列を離れ、チームに貢献できなかったのは残念」と未練も見せた。

寡黙な職人けがに泣

一言で言えば「職入」だった。前田智にとって、野球とは投手と打者の真剣勝負。かつて「僕に団体競技は向いていない。ゴルフなど個人競技が好き」と言ったこともある。
剣豪を思わせる鋭い目つき。試合前の打撃練習から、ずべての球をライナー性の打球で右翼席へ運ぼうとしていた。当時、松田オーナーは「試合前の練習で、租手球団の選手の目をくぎ付けにするのは前田だけ」と自慢していた。 入団6年目の1995年に右アキレスけんを断裂した。以後、「ワシの野球入生は終わった」と繰り返す。守備や走塁でチームに貢献することが少なくなり、球団を通じて三拍子がそろった内容の応援歌を変えるようにも訴えた。
寡黙を貫いた。2000年前後、報道陣に口を開くのは1月の自主トレ時と12月の契約更改時の2度だけ。試合後のヒーローインタビューも拒否した。

前田 智徳(まえだ・とものり)熊本工高から90年にドラフト4位で広島に入団。走攻守三拍子そろった外野手として頭角を現し、91年にはセ・リーグ制覇に貢献。95年に右アキレスけん断裂の大けがを負つたが、天才的な打撃技術で07年にはプロ野球史上36人目の通算2000本安打をマークした。近年は代打の切り札で活躍。ペストナイン、ゴールデングラブ賞を各4度、02年にはカムバック賞。今季は打撃コーチ補佐兼任。推定串俸5600万円。176a、80`、右投げ左打ち。42歳。熊本県出身。

      

高校時代のエピソード
高校3年時の夏、1989年高校野球選手権熊本大会の決勝で東海
大二高と対戦。0-1と熊工が1点リードして迎えた4回表の前田の打席で、東海大二側ベンチは勝負を避けても構わないと指示。投手・中尾篤孝がそれに従ってボールを2つ先行させた際、前田はバットを持ったままマウンドに歩み寄り「勝負せんかい! ストライク入れんかい!」と怒鳴った。これに中尾が「何やと!」とやり返したため、球審が間に割って入った。プレー再開後、中尾が勝負を挑んだ球をライトスタンドへ打ち込んだ。中尾(卒業後協和発酵硬式野球部入り)は後に「今となってはいい思い出です」と語っている。この試合に勝った熊工は甲子園に出場。初戦の日大三島戦で1回表にタイムリーヒットを放ったが、攻撃が終わっても「だめです。俺はもうだめです」と頭を抱え込んで泣き崩れ、守備につこうとしなかった。前田は同学年の元木大介を強くライバル視しており、本塁打を連発する元木に負けじと臨んだ初戦で打ち損じたことに納得できなかったという。これ以前にも、練習などで打撃に納得できないと深く考え込んだり、時には当たり散らしたりすることも有った。


      


前田智徳2000本安打達成

引退セレモニー 息子の始球式

久々に守備に就きました
熊工後輩中日荒木から花束 広島のエース前田健太から花束 子供たちと一緒に
子供から花束贈呈 ファンにお礼の挨拶 チームメートによる胴上げ
        
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