熊工会関連ニュース

2013年
 
川上哲治氏死去
広島カープ 前田智徳引退



日本シリーズ第4戦(1:0)

中日優勝おめでとう  

<日本シリーズ:中日1−0日本ハム>◇第5戦◇1日◇ナゴヤドーム

 中日は2回、日本ハム先発ダルビッシュを攻め、1死二、三塁から7番平田の右犠飛で三走ウッズが生還。1点を先制した。
この試合も荒木選手は好守備を見せた。4回森本のセンターへ抜けようかというヒット性のあたりをダイビングキャッチすぐさま1塁に投げてアウトにした。陰のMVP候補と言われている。 中日先発山井はテンポ良く投げ、8回まで日本ハム打線をパーフェクトに抑える。試合は両先発右腕による投手戦となった。 中日は山井−岩瀬の完全試合で勝ち、4勝1敗で53年ぶり日本一に輝いた。

守備で完全試合に貢献 荒木選手優秀選手に選ばれる

 荒木は無安打ながら好守備で完全試合に貢献した。「優勝のプレッシャーもあったので、安打を打たれてもいいから勝とうよ、と思っていた」と周囲を笑わせた。
 昨年の日本シリーズは18打数2安打に終わったが、今回は打撃好調。第2戦から3戦連続で盗塁を決め、流れを引き寄せた。「今季は前半不調で、このままだとふがいない成績のままで終わってしまう。何とか巻き返したかった」とほっとした様子だった。


9回表守りに着く荒木選手 9回表最後の打者のボールを処理、継投完全試合達成

 日本シリーズ第4戦

  
    中日 日本一へ大手 (4:2) 

日本シリーズ第4戦 中日4:1で勝って優勝へ大手

荒木また先制を演出

 荒木が第2、3戦に続いて一回に先制のホームを踏んだ。第1打席で三塁方向にたたきつけた打球は、大きく弾んで内野安打に。
一死二、三塁でウッズのゴロが三塁手のiグラブをはじく間に、すかさず本塁へ駆け抜けた。 二回には今シリーズ四つ目の盗塁を決め、白慢の足は絶好調。
「盗塁はいけるときにいくだけ。チームはいい形ができている」.と白信が言葉にもにじみ出た。


日本シリーズ第2戦
 中日1勝1敗に戻す (8:1) 

井畑、荒木 速攻で先制機を演出 荒木の評価が高い!!

大量得点で日本ハムをねじ伏せ、強さを見せつけた。その源は荒木にたどりつく。中日の魅力はこの男が暴れ回ってこそ、引き出される。 初回、そのパットと足が、まだ手探り状態だった先発グリンに一気に襲いかかった。

これが先制点につながり、第2戦の主導権を握った。 初球だった。外角高めに142キロの甘い直球が入ってきた。荒木は迷わず振り抜き、中前打で塁に出た。続く井端の初球。「 いいスタートが切れた」と荒木。間髪を入れず二盗に成功し、相手投手に対処する余裕を与えなかった。

 わずか2球でグリンは二塁に走者を背負った。立ち上がりの投手に動揺を与えた効果は計り知れない。井端が外角のスライダーを粘り強く右前に運び、一、三塁。 好機を広げた後、森野が中堅へ犠飛を放ち、打者3人で1点を手に入れた。

「初球のまっすぐは狙って打った。初球の盗塁? 塁に出たらシリーズに入る前から走りたかったからね」と荒木。相手投手の出ばなをくじく二盗は荒木自身をも乗せた。 クライマックスシリーズの巨人戦では「確信を持てても走れなかった」という不満があったが、そのうっぷんを晴らすかのように七回にも二盗。森野の2ランに結びつけた。「盗塁は白分にびびっとくる感覚が出たときにできるんですよ」。セ・リーグ盗塁王の足は、日本シリーズに入って一段と鋭さを増してきた。そして、引っ張られるように打線の得点力も増す 「自由に普段通りの動きをさせてやりたい」と落合監督。荒木、井端の足への信頼は揺るぎない。荒木も気分よく帰名できる。中日のリズムで戦って取り返した1勝は、星を五分に戻した以上の価値がある。 「名占屋へ帰って、いいところはつなげていきたい」。荒木の表情には自信がみなぎっていた。

 

高校生ドラフト

熊工 藤村外れ1巡目「運命の巨人」

熊本工・藤村大介内野手が、何かと縁のある巨人から1巡目指名を受けた。授業、清掃を終え、1時間以上後に指名を知らされた藤村は「優勝はテレビで見ていたけど、予想していなかったので(巨人1巡目に)何といっていいか分からない状態です」。驚きを隠せないが、巨人とは運命の糸でつながっていた。
 林幸義監督(60)は「顔も似ているし、プレースタイルも似ている」と熊本工から巨人に入団して90、93年にセ・リーグ盗塁王に輝いたのが緒方耕一現2軍守備走塁コーチ(39)の「プレーを参考にして藤村を指導してきた。せひ、盗塁王を取ってもらいたい」と明かした。緒方が86年、指名を受けた巨人との交渉に使った市内の食堂が、藤村の祖母が経営する店だった。
 藤村も「(緒方コーチは)偉大な先輩。入団して盗塁の技術を学びたい」と、早速弟子入り志願だ。 
通算2000本安打を、最初に成し遂げたのも熊本工から巨人に進んだ川上哲治氏(87)だ。川上氏のモニュメント前で藤村は「偉大な先輩たちが結果を残している。自分も頑張りたい。足を使ったプレーを評価してもらったと思う。1つ1つ目の前の壁に向かって自分のプレーを貫きたい」と話した。プロでの盗塁王に向け、自慢の俊足に磨きをかける。

巨人・山下スカウト部長、武田、井上(熊工卒)両スカウトが4日、熊本市内の熊本工を訪問。高校生ドラフト1巡目で指名した同校の藤村大介内野手に指名あいさつした。50メートル5秒8を誇る俊足選手は、将来の盗塁王を目標に掲げた。 
握手を交わした山下スカウト部長から「期待しているから」と声をかけられると、その顔には一気に笑みが広がった。「本当に指名されたんだな、と思いました」あこがれの球団のユニホームを着る喜びをかみ締めていた。 自慢の足をアピールする。「本塁打はいりません。足で点を取る野球を目指したい」山下スカウト部長からも「先輩の緒方は2度、盗塁王を取ったから、君は3度取れ」とハッパをかけられた。「目標は高く持ちたいですからね」巨人では93年、同校出身の緒方が獲得して以来となる盗塁王獲得を誓った。




中日ドラゴンズ 荒木盗塁王

荒木ミラクル3ラン!!

 荒木雅博二塁手がやってくれました。27日の阪神戦(甲子園)、中日は5回無死一、二塁で荒木が左翼ポール際に均衡を破る今季1号3ラン。それまで2度の無死好機にいずれもバント失敗しており、直前の落合博満監督の耳打ちが効いた? 全勝を義務づけられた残り7試合。ひとつ勝ったが、連覇にはまだ6つ残っている。
「バントを失敗していたから、何としてでも打とうと。打ってもいいということだったので思い切り振りました。なかなかない感触でした」

衝撃的な一撃が放たれたのは5回だった。無死一、二塁で迎えた荒木の第3打席。絶対にバントを決めるつもりで歩き始めたら、指揮官に呼び止められた。
 「ピッチャーが(二塁)ランナーだから送らせない。思い切って打て」
 意外な耳打ちにうなずき、カウント0−1から阪神・安藤の132キロ高め直球を強振。打球はグングン延びて、左翼ポール際に飛び込んだ。これが先制1号3ラン。孤軍奮闘の川上を救ったヒーローは、喜ぶ間もなく全速力でダイヤモンドを駆け抜けた。
 それまでは踏んだりけったりだった。1回、そして3回に、いずれも無死一塁で初球にバントを小フライにして失敗。2番打者としてチャンスを広げることができず、不安定だった安藤を助けていた。「自分が情けなくて…」。前夜(26日)の巨人戦も勝負どころで痛恨のエラー。眠れない夜を過ごした。
 年間2、3本平均の荒木が広い甲子園球場で一発を決めたのは、04年以来3年ぶり。そんな伏兵の活躍でマジックは『6』になった。残り6試合。荒木の奇跡が、チームの奇跡を呼び起こす。


         広島カープ 前田選手 金字塔を立てる

  

9月17日の中日新聞の読書欄に津市の野球ファンからの投稿を津志田さん(34土木)
が見つけ投稿者と連絡を取り了解を得ましたので紹介します。

前田選手の涙自分もほろり   梅本 学 会社役員(60)津市

広島カーブの前田智徳選手が、史上36人目の通算2000本安打を達成した。
そのバッティング技術は、三冠王を三度も獲得した中日の落合監督も絶賛しあのイチロー選手も心酔したという。
早くから天才との呼び声高く、レギュラーになると安打を量産したが1995年に右足アキレス腱断裂という大怪我に見舞われ、五年後にもう一方のアキレス腱を手術。これ以外にもいろいろな怪我を抱え、自暴自棄になった時もあったという。
プロ18年目。その野球人生は、怪我抜きには語れない。ナイター後に自宅でリハビリを続け、午前四時までバットスイングする事も珍しくなかった。バットを抱えたまま寝る姿を妻は何度も目にしたという。いろいろな事を思い出したのだろう。お立ち台でのインタビューは、あふれる涙を抑え切れなかった。多くのスタンドのファンも泣いていたが私もほろりとさせられた一人である。
不屈の闘志で奇跡の復活を成し遂げた前田選手は多くの人に夢と希望と感動を与えた事と思う。次はかって広島での僚友であった阪神の金本選手の番だ。今から大いに楽しみにしている。


        広島カープ 前田選手  2000本安打達成

【広島14―7中日】

広島 前田智徳選手 2000本安打おめでとう 2007年9月1日

孤高の天才打者が、ついに金字塔を打ち立てた。広島・前田智徳外野手(36)が1日の中日戦の8回2死満塁での5打席目で右前打。プロ野球史上36人目の通算2000本安打を達成した。これまでのプロ生活は右アキレス腱断裂など度重なる故障との闘い。苦難を乗り越えての地元・広島での大記録達成に、前田智はお立ち台で男泣きに泣いた。

 その右手には、しっかりとメモリアルのボールが握られていた。超満員のスタンドからは豪雨のように快挙を祝う声援が降り注いでくる。前田智は泣いた。おえつで声が震え、目頭を押さえた。

 「あんな歓声の中で打席に入ったのは初めて。最高の形で(打席を)回してくれた。打たないわけにはいかなかった」

 1点を追う8回1死一、三塁で代打・嶋が左翼に逆転3ラン。そのままなら9回裏の攻撃はなかった。しかし梵の四球に東出が左前打、新井が四球…。ナインが一丸となっておぜん立てしてくれた2死満塁の場面。総立ちの観客、嵐のような「マエダ」コールの中、135キロ直球を右前へ運んだ。一塁ベース上では長男・浩由くん(5)、二男・晃宏くん(4)から記念の花輪を受け取った。その瞬間だけは父親の顔だった。

 「とにかく走れるようになりたい。そう思ってできる限りのことをやってきた」。95年5月23日のヤクルト戦(神宮)、走塁中に右アキレス腱を断裂。翌日に緊急手術を受けた。00年7月27日には、今度は痛みのあった左アキレス腱の滑膜切除手術。「金で買えるなら、足を買いたい…」。復帰後も思い描くようなプレーができず心が折れそうになった時もあった。

 「もう前田智徳を超えられない。でも逃げるのは簡単だけど何とかしたかった。命を懸けて…」。足への負担を軽減しようとスパイクはミリ単位までサイズを計測し、特注のソールを使用。午前4時まで素振りを行うことも珍しくなかった。そのままバットを抱えて眠り込む夫の姿に、英美夫人(32)は「はけ口は私だけ」と温かく見守り続けた。かたくなな求道者。ひたすら打撃を磨くことだけを追求し、取材にもほとんど答えない。そんな前田智も01年の結婚を機に変わった。素直に胸中を吐露することを恐れない。リーダーとしての自覚も芽生えた。人間的な成長も大記録の背景にある。

 「ケガをしてチームの足を引っ張ってきた。こんな選手を応援してもらって…。きょうという日は一生、忘れることがない」。故障前、夢見ていた大リーグ移籍は故障によって断たれた。それでも大きな回り道をしながら、打者としての金字塔を打ち立てた。お立ち台で
は最後まで笑顔を見せなかった孤高の天才打者。荒野を1人行く、野武士のような男がそこにいた。


8回2死満塁で右前打。2000本安打達成

中日立浪選手から祝福を受ける
1塁ベース上で愛息から花輪を受ける

今朝、喫茶店で各紙を総なめ。前田智選手(H2.繊維工業科)の大記録絶賛でした。Jスポーツでテレビ観戦しましたが、8回裏の5打席目にツーアウト満塁でライトにクリーンヒット。4打席は全部、後輩の荒木(H8.金属工業科)が処理。荒木のホームラン性の当たりは前田がフェンス越しにもぎ取りました。顔欄とか人欄に各紙前田選手が紹介されていました。日本経済新聞のスポーツ欄が 熊工 の文字が躍って一番多く載っていました。数行に4度。しかし広島球場の8回裏の2死からの前田に繋ぐ打者の凄まじさ、試合終了後の観客の祝福などまさにドラマでした。  
              
******** 32建 犬山 **********





  偉業をたたえる石像つくり 2007.07.03




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