熊本県立熊本工業高等高校

                         

野球部の活躍


  第95回全国高校野球選手権大会


2013年

夏の高校野球:甲子園 熊工、7年ぶり初戦突破 “名門復活”へのろし 鳥取城北−熊本工 八回裏熊本工1死、西山が左翼線二塁打を放つ=阪神甲子園球場で2013年8月9日、中村藍撮影


鳥取城北−熊本工 八回裏熊本工1死、西山が左翼線二塁打を放つ

 第95回全国高校野球選手権記念大会の県代表、熊本工は9日、鳥取城北(鳥取)との1回戦で、夏の甲子園では7年ぶりとなる初戦突破を果たし“名門復活”ののろしを上げた。熊本工は4番の工藤誠也選手(2年)の本塁打などで序盤から優位に立った。毎回安打で攻め立て、粘る鳥取城北を山下滉太投手(3年)の好投で振り切った。

2回戦  対作新学院 3回戦進出ならず


作新学院は継投で4安打無失点。渡辺はコースに丁寧に投げ分け、朝山は七回以降は二塁を踏ませなかった。野手も中堅手の鈴木の好捕などでもり立てた。12安打の打線は一回に山下の2点本塁打で先制し、五回は四死球で得た好機に適時打。八回は2長打で追加点を挙げた。
 熊本工は山下が175球で完投したが、打線がつながらなかった。


      東海熊工会応援団



               2009年
第91回全国高校野球選手権大会
 涙の初戦敗退
第91回全国高校野球選手権大会第4日は13日、甲子園球場で1回戦4試合を行った。県勢で3年ぶり19度目出場の熊本工は前回出場時も初戦で対戦した三重(三重)と接戦を繰り広げたが、延長十回、4-5でサヨナラ負けを喫した。県勢の初戦敗退は3年連続。

 先攻の熊本工は初回、関の右前打を足掛かりに敵失と平江の右前適時打で2点先制。その裏、守備の乱れもあり2-3と逆転されたが、四回2死走者なしから上野、後藤の2長短打で同点。九回には後藤の右犠飛で1点勝ち越したが,その裏 2死一塁、から先発の左腕月田が右中間適時二塁打を浴びてまたも同点。救援の池田が踏ん張り大会初の延長戦となったが、十回裏、1死二塁から決勝の左前打を許した。

、2年生エース月田雄介がリードを守りきれなかった。「自分が打たれたから負けた。自分のせいです」と涙を流した。「あと2回チャンスがあるので2回とも甲子園に来たい」とセンバツへ気持ちを切り替えていた。
 


熊本工ナインが帰熊 保護者ら拍手で出迎え
第91回全国高校野球選手権に県代表として出場していた熊本工ナインが14日夜、飛行機で帰熊した。
 同校は甲子園球場で行われた13日の1回戦で三重(三重)に延長十回の末に4-5で惜敗した。熊本空港では学校関係者、保護者ら約70人が林幸義監督や選手らを温かい拍手で出迎え。拾雄正光校長は「素晴らしい試合だった」とねぎらった。

 林監督は「残念だったのは校歌を歌えなかったことだけ。選手は百パーセントの力を出してくれた」とあいさつ。田中屋光宏主将は「これまで応援ありがとうございました」と頭を下げた。

 

2007年


       第79回選抜高校野球大会

 
      1回戦 3月24日  対和歌山商

  熊本工が6―4で県和歌山商を下す 選抜第2試合

      ”おいでん”ではずんだ 熊工会東海支部

   2007年03月24日 東海支部では名古屋市栄の飲食店「おいでん」でテレビ応援をしました。
               勝った瞬間は球場内の応援者と一緒に店内で校歌を歌い勝利を祝福しました。
 

 

                 2回戦 3月29日 対千葉経大付

                


熊本工は三回1死から藤村が四球を選び、加久が三塁前にバント内野安打を決めて一、二塁。続く今村の左翼線適時打で先制した。
千葉経大付もその裏、敵失で出塁した須谷が二塁に進んだ2死後、谷が左前打を放ってすぐさま追いついた。
千葉経大付は五回1死から須谷が振り逃げで出塁。松本が左前打で続き、谷がバントで送った後、丸の右前適時打で1点を勝ち越した。
熊本工は八回、二塁への内野安打で出た隈部をバントで送り、藤村が右前にはじき返して同点。さらに藤村が二盗を成功させ、代打・吉岡の右前打で逆転した。
千葉経大付は九回2死から松本が左前打。これを左翼手が後逸して三進し、続く谷の中前適時打で試合を振り出しに戻した。今大会2回目の延長戦に突入した。

十一回、千葉経大付は2死一、二塁から左前打で二走松本が本塁を突くも左翼手二殿の好返球で憤死。 サヨナラを防ぎ夢をつないだ。
熊本工は十二回、持ち前の機動力を発揮。1死、藤村が内野安打で出て盗塁。これが捕手の悪送球を誘って三塁に進んだ。続く二殿の遊ゴロで藤村が勝ち越しのホームイン(記録は野選)。この後も相手守備が乱れ、熊本工はこの回3点を挙げた。
熊本工は隈部が粘り強い投球でリードを守り切った。


3回戦の相手校は室戸高校。報徳(近畿地区大会優勝。決勝で桐蔭に勝っている)を破り、宇部にも4対1で勝ち。
四国の初出場校は侮れません。観音寺中央、池田、済美高校など初出場で優勝していたように思います。得意の足と肩で勝ちをもぎ取って欲しい。リードオフマンの藤村選手、本塁に突っ込んだ時にキャッチャーともつれたが、大丈夫かな。
                 
***東海支部野球解説者 32建犬山***

       

  

                     準々決勝 3月31日 対 室戸

                 49年ぶりの準決勝進出

  1回 2回 3回 4回 5回 6回 7回 8回 9回 合計 ヒット
室戸 0 0 1 0 0 0 0 0 2 3 9
熊本工 0 0 4 0 0 0 1 0 x 5 7



 熊本工が逆転勝ちした。1点を追う三回2死一塁、藤村が大きなリードでバッテリーを揺さぶり、2死満塁から2連続押し出し四死球で逆転。さらに藤本が2点適時打。隈部、今村の継投で逃げ切った。室戸は三回に小松の左前打で先制。九回も3連打などで2点差に迫る粘りを見せた。

 


  


          準決勝 4月2日 対 常葉菊川

試合関連情報  

 

1回

2回

3回

4回

5回

6回

7回

8回

9回

合計

ヒット

常葉菊川

0

1

2

0

0

0

0

0

3

6

11

熊本工

0

3

0

1

0

0

0

0

0

4

9


                         残念!! 決勝進出ならず

熊本工、逆転負け 最終回力尽きる

第79回選抜高校野球大会第11日は二日、甲子園球場で準決勝を行った。四十九年ぶりにベスト4に進んだ熊本工は常葉学園菊川(静岡)と対戦、藤村大介主将の活躍などで二度勝ち越したが最終回に投手陣が捕まり、4―6の逆転負け。同校として初めて、県勢として第30回大会の済々黌以来、四十九年ぶりの決勝進出を惜しくも逃した。

1点先制された直後の二回裏、熊本工は先頭打者の藤本功将の二塁打、古江哲朗のバント安打で一、三塁。一死後、隈部智也の遊ゴロが併殺を焦った野手の二塁悪送球を誘い同点。さらに藤村大介の2点三塁打で3―1と逆転した。
いったん追い付かれたものの、四回裏二死二塁から再び藤村が左中間への三塁打を放ち、4―3と勝ち越した。


高校二年生
あれから
48年



49年前済々黌と対戦した時の 熊工4番打者
(35工芸 本田君)

 先発の隈部は三回までに3点を失う不安な立ち上がりだったが、四回以降は立ち直り常葉菊川の強力打線をよく抑えた。しかし、九回、先頭打者から二者連続の二塁打を浴び4―4。救援した藤本も痛打を浴び、さらに2点を失った。その裏の反撃は先頭の代打山下貴明が安打で出塁したが、後がつながらず決勝進出目前で涙をのんだ。

49年前センバツ4強の熊エナイン

善戦の後輩にエール

四十九年前に準決勝で敗退したOBも、三塁側アルプススタンド,で懸命の声援を送った。雲辱は累たせなかったが、「最高の試合だった」と記録に並んだ孫のようなナインの健闘をたたえた.

二回裏、藤村大介主将の2点三塁打などで熊本工は3-1と逆転。スタンドで、四十九年前の大会で当時二年生で四番打者を務めた本田国弘さん(35工芸)、八代二中出が、ひと際大きな声援を送る。当時の準決勝では四打数二安打、一打点を挙げた。

機動力で勝負する今年のチームと違い、49年前は重厚な打線が売りものだった。秋の熊本大会と九州大会で優勝。甲子園でも順調に勝ち上がり、準決勝の相手は同じ県勢の済々黌だった。

1958年(昭和33年)の第30回大会。熊本工業は中村民雄監督=2003年、八十六歳で死去=の指揮の下、多治見(岐阜)、海南(和歌山)を撃破し54年に続く四強入り。しかし準決勝で同大会を制した同郷の済々黌と対戦し、先制点を奪いながらも2-5で涙を飲んだ。

「自分たちは済々黌には負けたことがなく、それだけに、選手みんなが楽に決勝に行けると勘違いし、油断があった」。
しかし、済々黌は早稲田実を降し、波に乗っていた。結局、熊本工は敗れ、済々黌はセンバツ初優勝を果たした。

熊本へ帰ると両校参加でパレードがあった。「オープンカーに乗って市内中心部を練り歩く済々黌ナインの後ろを、私たちはジープに乗ってついていった。悔しかった」と当時を振り返る。

三回には同点に追い付かれたものの、四回に1点を追加し再ぴリード。その後も再三のピンチを切り抜け続けた。スタンドには故中村監督の長男で熊工野球部OB会長の自営業中村一平さん(56)の姿も。

しかし、リ一ドを保ったまま迎えた九回表。本田さんや中村さんが決勝進出の悲願達成を信じた矢先、隈部智也、救援の藤本功将両投手が集中打を浴び3点を奪われた。最終回、反撃ならずゲームセツト。「あー」と天を仰ぎ見るしかなかった。

「自分たちの果たせなかった優勝旗を熊本へ」と、本田さんは半世紀越しの願いを込めて応援した。この日も惜敗だったが、「49年前よりもまとまりのあるチーム。これからもっと成長する姿を見せてほしい」とエールを送った。

本田国弘君の事

49年前 熊本工がベスト4に進出したとき、本田さんは2年生ながら主砲として活躍。準決勝では「王貞治選手(現福岡ソフトバンクホークス監督)を擁する早稲田実業と対戦するとばかり考えていた」という。ところが勝ち上がってきたのは同じ熊本勢の済々黌。2-5で敗れ、結局、済々黌が初優勝を果たした。

 熊本県八代市出身の本田さんは卒業後、社会人チームの名門、松下電器(大阪)で4年間プレー。故障して野球を断念した後は、会社員として60歳で定年を迎えた。

 本田さんの高校時代は、道具も十分になかった時代。練習後、自宅に破れたボールを持ち帰っては自ら縫った。練習時のバットは、折れにくい安価な竹バットを使った。

2005年クラス会 熊本交通センターホテル 二次会 カラオケ熱唱

 当時クラスには5,6名の野球部員がいたがみんな破れたボールを教室に持ってきており、部員ではない手先の器用な黒岩君というのがいてほとんどのボールを縫ってやっていました。本田君は学校の近くで下宿生活をしていたが今回の準決勝で敗れた後電話したら「俺は下宿生活だったので親にはずいぶん負担をかけたなー」としみじみ言っていました。

選手のその後 18人ベンチ入りした選手の中で渡邊丈起君は千葉・西陵、加久統之君は茨城、牛久の出身です。わが母校も野球留学の対象校になっているようです。
昨年頑張ったエースの前田君は三菱重工三原、主将の狩場君は新日鉄広畑、捕手の橋本君は三菱重工名古屋へ入りました。 頑張ってプロ野球へ進めるかもしれません。その時は球団のファンでなくても選手だけは応援しましょう。
 

 

 

 

 



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